つのぶえ

「私のくちびるから賛美があふれるでしょう」詩篇 119:171



クリスマス(降誕祭)って?


■クリスマス
イエス・キリストの誕生を記念する祝日。降誕祭ともいう。ことばの意味は「キリスト礼拝」である。初期の信徒の関心は、キリストの死と復活のできごとを宣教することに集中していたので、受肉(誕生)の日付の問題は空想的であったし、四福音(ふくいん)書には誕生の日付の記述はない。コンスタンティヌス大帝は政治的判断から、キリスト教徒の礼拝日「主の日」を、ミトラス教徒の太陽崇拝の日と結合して、321年に公式に週1回の休日を決定し、役人の休日にした。ニカイア公会議(325)でキリスト論に関する教義が整理され、キリストの誕生の神学的位置づけが確定されると、ミトラス教の祝日Natalis Solis Invicti(不滅の太陽の生誕日)である12月25日がキリストの誕生日として解釈され制度化された。救主(すくいぬし)は「義の太陽」として預言されていたので(「マラキ書」4章2)、好都合な解釈が成立した。そして、たき火をたき、キャンドルをともし、祭儀的競技が催されるゲルマンの冬至の祭りやローマの農耕神の祭りの形式の一部は、キリスト教徒に受容され、電気を照明に用いる現代でも不便なキャンドルを伝統的にたいせつにする。それは、光(神の子)が闇(やみ)(世界)のなかで輝き、熱と光を与えて消える(犠牲死)ように、過去のキリストの1回限りの生涯を年ごとに情緒的に理解する訓練に役だてられる。
 8世紀以降、クリスマス前の四つの日曜日を含む期間を「アドベント」Advent(来臨)とよび、教会暦では年の始めであるが、メシアの誕生の追体験とキリストの再臨を待望する心の構えを形成するために、この期間は祝い事を避けて生活する。クリスマスはアドベントから始まり1月6日のエピファニー(公現日)まで続き、その日にいっさいの飾りを外す。プレゼントの贈与と交換の行事は、古代ローマの祭り(12月17日)であるサトゥルナリアSaturnalia(農業神)にさかのぼる。この祭りの魅力は浪費、祝宴、日常的役割と身分の逆転であった。ツリーは、アルプスの北の風習で、起源が呪術(じゅじゅつ)的動機であるため、ピューリタニズムの系譜に連なる教派では飾らない。サンタクローズの起源は、恐ろしい袋をもった人さらいと善行の老人との奇妙な結合なのだが、遠い他人の抱く善意と正しい評価を親が代行する行為は、神の摂理を伝える家庭教育に用いられる。「キャロル」とよばれるクリスマスの歌曲は、民謡を母胎にして発展し、神への賛美、キリストの誕生の喜びと感謝を表現する。優れたキャロルは賛美歌に編入される。
その一例が19世紀のグルーバー作曲の『清しこの夜』の歌である。〈川又志朗〉
■民俗■
クリスマスは異教の時代から受け継いできた風習もあって、フォークロアも多彩である。
 少年司教ボーイビショップは、中世からある変わった儀式で、子供の守護聖人聖ニコラスの祝日である12月6日から、聖嬰児(えいじ)日の12月28日までの間、各教会から選ばれた少年が司祭のかっこうをして司教の代理役を務める。この風習は宗教改革によってほとんど消滅したが、20世紀になりイギリスなどで復活している。もし少年司教が在任中に死ぬことがあると、司教と同じような形で葬られた。
 クリスマスの活人画(クリッブ)は、ベツレヘムの馬小屋でのキリストの生誕のようすを、飼い葉桶(おけ)(クリッブ)を中心にヨセフ、マリア、羊飼い、動物を配した模型で、フランスではクレッシュ、ドイツではクリッペ、そしてもっとも人気のあるイタリアではプレセピオとよばれる。ローマ・カトリックの世界でおもにつくられ、教会や家庭にクリスマスの12日間周囲にろうそくをともして丁重に飾られる。最近では深夜ミサの初めに嬰児キリストの人形が運び込まれ、祭壇の前の飼い葉桶に恭しく入れられる。そして公現日(エピフアニー)になると、周囲の羊飼いたちが3人の王によってとってかわられる。
 サンタクローズ??この名のおこりはアメリカへのオランダ移民が、ニュー・アムステルダム、現在のニューヨークに定住したとき、最初の教会をサンテ・クラースつまり聖ニコラスに献じたことにある。聖ニコラスは4世紀の聖人で、小アジアはリキュアのミーラの司教。彼にまつわる伝説は多く、もっとも知られるのが、貧しくて苦界に身を沈めようとした3人娘を救うため、夜半にこっそり金袋を娘たちの家の窓から投げ入れ、それが三晩続き、娘たちはそれぞれ十分な持参金を手にすることができた、というもので、これから三つの金色の玉が質屋の目印の看板となった。また別の伝説には、昔、飢饉(ききん)に際して、肉不足を補おうとして、3人の子供が、ある宿屋の亭主に殺され、死体は刻まれて塩水の樽(たる)の中に漬けられ、客用のベーコンがわりにされてしまう。ところが、食べられる直前に聖ニコラスが現れ、3人の子供の死体を祝福すると、切れ切れになった身体が元どおりになって生き返り、危うく救われて、聖ニコラスは子供の守護聖人となった、というもので、三つの玉は子供たちの頭を表すという。このような聖ニコラスの話は、中世の奇跡劇(ミラクル)の主要なテーマとなった。この聖ニコラスにまつわる話と、クリスマスに際してその余興を取り仕切る道化役とがいっしょになって、サンタクローズ(イギリスではファーザー・クリスマスという)の姿が生まれた。クリスマスの贈り物の習慣は、本来、聖ニコラスの祝日である12月6日の前夜、気づかぬように贈り物をする習慣に発しており、またローマの農耕神サトゥルナリアの祭日(12月17日から1週間)に「幸運の贈り物」をしたことによるともいう。しかし近年の商業主義がこれを盛んにしたことはいうまでもない。サンタクローズが空を飛んでやってくるという考えは、北欧神話の主神オーディンOdinが冬になると空を飛翔(ひしよう)して人間の善悪を裁きにやってくる、という伝説に基づき、かならずしも楽しい、喜びをもたらす姿ではなく、本来は善悪を裁きに訪れるという厳しさがあった。→サンタクローズ
 クリスマスは12月24日の夕べから1月6日の公現日まで祝われるが、その間の伝説や習慣は多彩である。クリスマスの前夜には、動物や鳥が人間のようにことばを発し、ラテン語で神をたたえる歌を歌ったり、家畜は東方を向いて跪座(きざ)し、蜜蜂(みつばち)も第百番の詩篇(しへん)を口ずさむといわれた。
そして人々はクリスマスの当日にはいつもよりも多く餌(えさ)を与える。
 クリスマスをたたえる歌はクリスマス・キャロルといい、本来は歌を歌いながらするダンスであったが、各国で美しい歌が次々に生まれ、いまなお盛んに前夜(イブ)に家々を訪問して歌われている。またこの時期に、イギリスに古くから伝わる劇にマミング・プレーmumming playという仮面をつけた無言劇があり、イングランドの守護聖人聖ジョージ、トルコの騎士、竜、美少女、医者を配した死と再生の物語を演じた。いまではそれにかわって有名な童話を扱ったパントマイムが子供たちの娯楽となっている。
 クリスマスの翌日は、最初の殉教者聖ステパノの祭日。この日はイギリスではボクシング・デイBoxing Dayとよばれ、クリスマス・ボックスといって教会に備え付けられた寄付金の箱をあける日であったが、20世紀の中ごろまで、日ごろ世話になっている郵便屋さん、ごみ集めさんなどに感謝のしるしとして心付けを手渡す日となっていた。いまは名ばかりとなって公休日の一つの意味でしかない。
 北半球においてはクリスマスはホワイトであり、南半球ではグリーンである。しかし長い間の北半球の文化的、経済的優位性から、冬の寒さと枯れ木と雪の中で、常緑の木やそれによる飾りが珍重された。クリスマス・ツリーの導入と普及はこれに基づくのであり、その他種々の植物がクリスマスを飾る。ヤドリギmistletoeはその代表的なもので、本来ドルイド教で聖なるものとされ、病を治したり、解毒したり、生殖能力を高めたり、悪霊を退けたり、幸運を約束する力があると考えられた。仇敵(きゆうてき)同士がもしヤドリギの下で出会えばそれが休戦のしるしとなり、互いに握手して別れ、争いは後日に延期された。これが戸口にヤドリギを飾り、そこから入る者たちの幸運を約束し、やがて若い男女の愛のしるしとしてその下でキスする習慣が生まれた。同様にヒイラギ、ツタ、月桂樹(げつけいじゆ)などもローマの時代から西欧で、そしてアメリカで珍重されている。東欧では聖バルバラの祝日である12月4日にサクラの枝を折って暖かいところに置くとクリスマスに花が全開するといわれた。ポインセチアは中央アメリカの産で、その赤い星状の包葉(ブラクト)がベスレヘムの星に似ていることから同地で聖なる飾りとして用いられていたが、メキシコ派遣のアメリカ大使J・R・ポインセットPoinsettが1829年カリフォルニアに持ち帰って一般的になった。
 明かりをつけることもクリスマスの特徴であるが、これは古くからろうそくの火によってキリストを表す習慣があったことから広まり、とりわけ窓辺に出すことが19世紀の中ごろからアメリカ中に行き渡った。またユール・ロッグYule logといって、丸太を家に運び込み、それを暖炉の火で半分だけ焼き、残りを次の年のクリスマスに焼く新しい丸太に火をつけるようにした習慣もヨーロッパ一円に広まっている。
 わが国において、クリスマスが日本人によって初めて祝われたのは1875年(明治8)で、原胤昭(たねあき)によって銀座に設立された原女学校においてであったといわれる。
その後しだいに非キリスト教徒の一般家庭にも浸透して祝われるようになり、1950年代にはバーやキャバレーで狂奔的に行われたが、しだいに沈静化し、家庭でケーキを食べたりプレゼントを交換するような形をとるようになった。しかし宗教性が希薄で商業主義に利用される一面は否めない。〈船戸英夫〉
■クリスマス料理■
もともとはクリスマス当日、教会のクリスマス礼拝から帰って、家族あるいは来客がともに祝って食べるディナーの料理をいう。しかし、最近は、クリスマスの前夜、つまりクリスマス・イブに食べることが多くなっている。また、クリスマス・シーズンに、とくにクリスマスのためにつくる料理もクリスマス料理とよんでいる。イギリス、アメリカはシチメンチョウのローストを主菜とし、フランスではローストチキン、オーストラリアではホゲット(生後1年〜1年半の羊肉)のローストが中心になるなど、鳥や肉のローストが多く用いられる。とくにデザートは国により大きな特徴があり、いずれもいわれのあるものである。イギリスではフルーツ、香料をたっぷり入れた黒褐色のプディングをクリスマス・プディングといい、アメリカではクリスマスケーキ、フランスではビュッシュ・ド・ノエルをつくる。ビュッシュ・ド・ノエルは、大きな薪(まき)形のケーキで、昔、クリスマス・イブに大きな薪をたいた習慣によるという。ドイツでは、シュトーレンとよばれる、白い粉砂糖をふった堅いフルーツ入りのパンが焼かれる。これは保存性が強く、だいたい、クリスマスシーズンにすこしずつこれを食べる。日本では宗教に関係なくクリスマス・イブにパーティーをする習慣が広まっている。しかし、ローストの肉とケーキ程度が主で、料理の形式だけをまねている傾向が強い。イギリスやアメリカでつくられるシチメンチョウのローストは、丸ごとのシチメンチョウの内臓を抜いて下ごしらえをし、腹腔(ふくこう)にシチメンチョウのレバー、野菜を詰めてオーブンで焼き、クランベリーソースを添える。ローストチキンも同様につくりグレービーソースをかける。
〈河野友美〉

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イースター(復活祭)って?


2000年前にイエス様が十字架に架かって死んでから3日目に復活したことをお祝いする日で、「春分の日の後の満月の次の日曜日」と決まっています。クリスマスと同様に家族や友だちとご馳走を食べてお祝いしましょう。うさぎがイースターエッグを持って来るかも知れませんよ。

キリストの復活を記念し祝う日で、教会暦のなかでもっとも古い祝日である。現代ギリシア語では復活祭はパスカpaschaといわれ、この語はユダヤ人の過越祭(すぎこしのまつり)をさすヘブライ語からきている。聖書によれば、ちょうどこの時期にキリストの復活がおこったとされているので、その復活という新しい意味を込めて、この古い呼称がそのまま受け継がれたのである。ところが、イギリス、アメリカでは復活祭はイースターEaster、ドイツではオースターンOsternとよばれ、これらはゲルマン民族の光と春の女神エオスターEosterから派生しているとされる。つまり、ユダヤ教の過越祭がキリスト教時代に新しい意味を得て、キリストの死と復活とを記念する祭りになり、のちにキリスト教がゲルマン民族に伝えられると、異教の春分祭と融合して現在の復活祭となったのである。
 これが祭日としてキリスト教国で守られるようになったのは2世紀ごろからで、その日取りについては2世紀以降、多くの論争があった。東方教会ではユダヤ人の過越祭の日、すなわちニサンの月(太陽暦の3、4月)の14日(満月の夜)とされた。西方教会ではキリストの復活した日曜日を重視して、過越祭のころの日曜日、すなわち春分後の満月の次にくる日曜日に祝われた。325年の第1回ニカイア公会議で復活祭は日曜日に行うことが決定された。イースターに美しく彩色された卵を贈り物とする風習はかなり古くから各国で行われていたようである。

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・つのぶえ会とは下記のような活動を主に行なう
 超教派のキリスト教伝道集団です。
 主旨と活動内容にご賛同下さる方はご連絡下さい。


・教派、教団、クリスチャン、ノンクリスチャン、性別、年齢にかかわらず誰でも参加できる。
・聖書の学びを行ない、「とりなしの祈り」に重点を置いて祈る。
・真の愛により宣教命令に則り、「文書伝道」〜友人、同僚への手紙、トラクト配付。「個人伝道」〜家族、職場の同僚への開かれた機会を積極的に用いる。
 「訪問伝道」〜チームを組んで展開する。「病床伝道」、「路傍伝道」などを行なう。
・求道者の方をそれぞれの地域の諸教会に導く。
・「つのぶえ会」内外の働きについての議論や活動を行なう(奉仕活動、福祉活動、その他、親睦を深める為の活動)
・一般教会との交流を行なう。
・諸教会のリバイバルのためのご奉仕をさせていただく。
・新来者の受け入れ環境作りや地域社会との共存など、新しい時代にふさわしい開かれた「つのぶえ会」を模索し、見い出して行く。
連絡先 Tel&Fax 0964-22-6224
      (作取陽子 さくとりようこ)

・これまでの主な活動


【チャリティコンサート】


日 時:2003年11月3日
会 場:バトルステージ(熊本市)


《M−ROADベンチャーズ、テリープロジェクト(寺内バンド)、ハーバーズ(ビートルズ)、ヒューマンガス(キャロル)の4バンドが出演する所謂『おやじバンド』のコンサートに鈴木師が参加してトークを展開。客席から質問をうけたり、司会者とのやりとりで、客席には感動の涙を流す人が絶えませんでした。集会などに人を誘うやり方よりも未信者の中に出向いて証しをするやり方にも聖霊様はちゃんと働いて下さり、奇蹟を起こして下さるということを目の当たりにすることができました。感謝!》



【さんび集会】


日 時:2002年3月29日
会 場:熊本県立劇場(熊本市)
ゲスト:鈴木啓之師(シロアムキリスト教会 牧師)




【つのぶえ会】


日 時:2000年12月22日
会 場:照古苑(宇土市)


《照古苑(老人福祉施設)への慰問というかたちでクリスマス会に参加し、ひげダンスのオープニングではじまり、幸せなら手をたたこう、大きな栗の木の下でなどの演奏や歌で楽しいひとときを過ごしました。「飛び入り」もとびだし、会場の皆さんも真剣に見入っておられました。》


【つのぶえ会】


日 時:2000年12月2日
会 場:神水ルーテル教会(熊本市)


《子羊会(体にハンディをかかえた方々の超教派の集まり)にて「賛美主!」、「すべてが生きる」、「われらの主に向かって」を賛美し大いに盛り上がり、全会衆の手拍子とともに歌声は会場全体に響き渡りました。》


【ゴスペルナイト2000】


日 時:2000年11月3日
会 場:熊本県立劇場(熊本市)     
出 演:鈴木啓之師(シロアムキリスト教会 牧師)


《映画の撮影が終わった韓国から駆けつけて下さった鈴木師を迎え、賛美を中心とした集会をもちました。特に今回は賛美の伴奏をつのぶえ会のメンバーで行ない、会場に広がった歌声は喜びにあふれていました。「たがいに愛し合いなさい」と言われるイエス様に私たちは従います。そして私たちはこれからも新しいつのぶえ会を模索していきます。》




【刺青クリスチャン伝道集会】


日 時:2000年7月22日
会 場:熊本県立劇場(熊本市)     
講 師:ミッション・バラバ(鈴木・井上・信田の各氏)


《ミッション・バラバの映画発表の後の集会で、たくさんの方々が関心をもって下さり協力して下さいました。まず井上氏の証では「私の助けは主から来る・・・」と自作自演で賛美を披露されました。信田氏は刑務所での改心や出所後の生活、「イエス様を知らない人たちに、イエス様のおかげでこんな自分でもやり直せたんだと自分の体験を知ってもらいたい」と訴えました。鈴木氏は人間はどんなに価値あるものか、主イエスこそが人生をやり直す鍵だと証されました。》







【リバイバル集会】


日 時:2000年3月20日
会 場:熊本県立劇場(熊本市)     
講 師:鈴木啓之師(ミッション・バラバ代表 シロアムキリスト教会 牧師)


《今回も一般に呼びかけ、多くの参加者にささえられたすばらしい賛美と祈りの集会となりました。特に祈り心とともになされる鈴木師のメッセージは会場の人たちの心に浸透し、熊本県民テレビの取材の方たちもじっくりと聞いておられました。因に集会の様子は当夕の情報番組で放映され、主が番組を見たすべての人の心に働かれたことを信じます。主はいつもそうですが、私たちの思いもよらないことをなさいます。それは時にかなって美しいのです。今、私たちはこのすばらしい主を心より賛美します。》


【つのぶえ会】


日 時:2000年1月15日
会 場:作取宅


《ミッションバラバの信田和富氏を迎えて、家庭での賛美と祈りの集会をもちました。新来者も交えてのすばらしい賛美と共に、信田氏の人柄と謙りに感動させられた恵みのひとときでした。》


【つのぶえ会】


日 時:1999年12月22日
会 場:照古苑(宇土市)


《照古苑(老人福祉施設)への慰問というかたちでクリスマス会に参加し、演奏や歌などで楽しいひとときを過ごしました。》


【リバイバル集会】


日 時:1999年12月14日
会 場:神水ルーテル教会(熊本市)     
講 師:鈴木啓之師(ミッション・バラバ代表 シロアムキリスト教会 牧師)


《一般にも呼びかけ、前回に増して多くの参加者があり、すばらしい賛美と祈りの集会となりました。私たち飢え渇いたクリスチャンは常に新鮮ないのちの水で潤うことが大切です。主イエスは求める者にはあふれるばかりの祝福と恵みをお与えになります。私たちは主イエスの忠実なしもべとしてみことばと祈りにあふれた毎日をおくらなければなりません。》


【つのぶえ会】


日 時:1999年10月11〜12日
会 場:神水ルーテル教会(熊本市)
講 師:鈴木啓之師(ミッション・バラバ代表 シロアムキリスト教会 牧師)
    信田和富氏(ミッション・バラバ)


《私たち「つのぶえ会」の霊的な向上と一致を目的として開かれた賛美と祈りといやしの集会は、始終すばらしい聖霊様の導きと臨在の中で行なわれました。主イエスは私たちの思いもよらないことをなさいます。それを見て私たちは驚き、そして感謝にあふれます。元ヤクザの経歴を持つ鈴木師や信田氏の証しは私たち平凡なクリスチャンにとっては自分自身へのチャレンジとなりました。私たちはもっと主とともに大胆に動かなければなりません。そして主は私たちを通してご自分のみわざをなされるのです。》